記事: Bar Grief
Bar Grief
その今夏にOPENしたBar Griefの壁に飾る作品を作成させていただき、先日納品してまいりました。作品は3点とさらに年末に大きい作品が一つ追加される予定です。
Bar Griefのコンセプトは「まちと支援者をつなぐ場所」です。
ご依頼をいただいた時にオーナーにこの場所を作りたいと思った理由をご説明いただき、何かこの想いに少しでも寄り添える作品がつくれたらと思いました。
首都圏は高齢化が着実に進んでいて、少ない生産人口で高齢者を支えていくことになります。それは医療や介護業の力のみで乗り越えるのはとても難しく、地域住民が力を合わせていく必要があるとのことでした。
国は「地域包括ケアシステム」と言ってこれを推進していますがなかなか進んでないそうです。
そうこうしているうちに介護者の社会的孤立、子供が家族のケアをしなくてはならないヤングケアラー問題、などが社会問題として浮かび上がってきていて、それらはニュースの中だけでなく、すぐ身近にある問題なのです。
そこで頑張る街の支援者の居場所を作りたいと思いこのお店を作ることにしたそうです。
その問題とは少しズレるかもしれませんが私の母も数年前まで同居していた義母(私の祖母)の介護に追われていました。
それはそれは辛い日々だったと思います。
私が今思い出そうとしても元々の性格が思い出せないほど、痴呆により幼稚化してしまった祖母。
私も祖母のことも大事に思っていたし、母のことも助けたい気持ちはあったと思いますが、課題も多く、遊びたい年頃の学生だったこともあり、ほとんど何も力になれなかったことを今でも申し訳なく思っています。
父ももちろん協力的で、毎日仕事から早く帰ってきて食事や入浴を手伝っていたし、私も兄も気遣ってはいましたが、どうしても母に負担が乗っかっていたと思います。
その重さは想像もつきません。
母は昔から今も父のことが大好きなのですが、それでも何度も自分の実家に帰ろうと思ったと後から言っていました。
叫んで暴れてしまったりするほどひどい時期も続きましたが、結局はその後体調も悪くなり入院し、そのまま家に戻ることなく数ヶ月後息を引き取りました。
病院でももちろん痴呆の症状も悪化している状態のままでした。
私はすごく可愛がってくれて生まれた時からずっと一緒に暮らしていた祖母が亡くなってしまった時に、寂しい気持ちと介護から母が解放されてホッとした気持ちと、自分だけが祖母にも家族のためにも何もできなかった後悔と情けなさで複雑な感情でした。
それでも誰も悪くないのはわかっています。
痴呆は恐ろしい病気です。自分が自分でなくなっていく過程は、祖母もすごく怖かったし辛かったと思います。
でも祖母が亡くなった後、母が「大変だった時に助けてくれて、本当にありがとうね。」と私に言ってくれたのです。
私はできる時に最低限のことしかしてなかったような気もするし、なんなら変わっていってしまう祖母が少し怖くて逃げてた感覚さえありました。
それでも祖母が暴れて大きい音を立てるたびに「大丈夫?」と心配そうに様子を見にきたり、いつも話を聞いて状況を一緒に把握していたことで、助けられていたようです。
私は何もできなかったことを責めていたけど、話を聞いて常に労っていたことが、少しでも助けになっていたんだとわかって少し気が楽になりました。
母はたまたまそのような環境があったのですが、介護をしている方すべてが同じような環境があったり、同じようなマインドになれるとは限らないと思います。
"大変さや状況を共有する"ということが少しでも介護をする方の助けになることを多少なりとも体験したので、Bar Griefがそのきっかけの場所になるのであればその手助けが少しでもできたらと思っております。
私は自分の家族の経験以外は詳しくないですが、介護以外でも何か問題を抱えて、解決の目処が立たず、先が見えない真っ暗な森を一人ぼっちで走っている気分になる時はあると思います。
打開策があったとしてもそれを探して掴みにいく気力さえないほど目の前の絶望が大きかったり・・。
それでも何か一握りの希望を探すきっかけを自身のために作って欲しいのです。よーく目を凝らしたら見えるかもしれません。
私たちはひとりで生まれ、ひとりで死んでゆきます。
他者に依存しない、揺るぎのない自分を持つことが大切だという言葉を信じて生きています。
ただ、「人は一人では生きていけない」のも事実。
生きていく過程では人と関わって傷つけて助けあっていかないといけないのです。
UNSPOOKYの"USG"はシーツをかぶってますが、直視するのが怖かったり、正面から対峙するのが怖いという気持ちが強くあります。だけどシーツをかぶって自分を少し隠してでも、目をつぶってでも、一歩踏み出すことが何か変わるきっかけになると思っています。そんな思いとストーリーが入り口から繋がる3つの作品に入っています。お店に行けばいつでも見れるのでぜひお立ち寄りください。
Bar Griefのコンセプトは「まちと支援者をつなぐ場所」です。
ご依頼をいただいた時にオーナーにこの場所を作りたいと思った理由をご説明いただき、何かこの想いに少しでも寄り添える作品がつくれたらと思いました。
首都圏は高齢化が着実に進んでいて、少ない生産人口で高齢者を支えていくことになります。それは医療や介護業の力のみで乗り越えるのはとても難しく、地域住民が力を合わせていく必要があるとのことでした。
国は「地域包括ケアシステム」と言ってこれを推進していますがなかなか進んでないそうです。
そうこうしているうちに介護者の社会的孤立、子供が家族のケアをしなくてはならないヤングケアラー問題、などが社会問題として浮かび上がってきていて、それらはニュースの中だけでなく、すぐ身近にある問題なのです。
そこで頑張る街の支援者の居場所を作りたいと思いこのお店を作ることにしたそうです。
その問題とは少しズレるかもしれませんが私の母も数年前まで同居していた義母(私の祖母)の介護に追われていました。
それはそれは辛い日々だったと思います。
私が今思い出そうとしても元々の性格が思い出せないほど、痴呆により幼稚化してしまった祖母。
私も祖母のことも大事に思っていたし、母のことも助けたい気持ちはあったと思いますが、課題も多く、遊びたい年頃の学生だったこともあり、ほとんど何も力になれなかったことを今でも申し訳なく思っています。
父ももちろん協力的で、毎日仕事から早く帰ってきて食事や入浴を手伝っていたし、私も兄も気遣ってはいましたが、どうしても母に負担が乗っかっていたと思います。
その重さは想像もつきません。
母は昔から今も父のことが大好きなのですが、それでも何度も自分の実家に帰ろうと思ったと後から言っていました。
叫んで暴れてしまったりするほどひどい時期も続きましたが、結局はその後体調も悪くなり入院し、そのまま家に戻ることなく数ヶ月後息を引き取りました。
病院でももちろん痴呆の症状も悪化している状態のままでした。
私はすごく可愛がってくれて生まれた時からずっと一緒に暮らしていた祖母が亡くなってしまった時に、寂しい気持ちと介護から母が解放されてホッとした気持ちと、自分だけが祖母にも家族のためにも何もできなかった後悔と情けなさで複雑な感情でした。
それでも誰も悪くないのはわかっています。
痴呆は恐ろしい病気です。自分が自分でなくなっていく過程は、祖母もすごく怖かったし辛かったと思います。
でも祖母が亡くなった後、母が「大変だった時に助けてくれて、本当にありがとうね。」と私に言ってくれたのです。
私はできる時に最低限のことしかしてなかったような気もするし、なんなら変わっていってしまう祖母が少し怖くて逃げてた感覚さえありました。
それでも祖母が暴れて大きい音を立てるたびに「大丈夫?」と心配そうに様子を見にきたり、いつも話を聞いて状況を一緒に把握していたことで、助けられていたようです。
私は何もできなかったことを責めていたけど、話を聞いて常に労っていたことが、少しでも助けになっていたんだとわかって少し気が楽になりました。
母はたまたまそのような環境があったのですが、介護をしている方すべてが同じような環境があったり、同じようなマインドになれるとは限らないと思います。
"大変さや状況を共有する"ということが少しでも介護をする方の助けになることを多少なりとも体験したので、Bar Griefがそのきっかけの場所になるのであればその手助けが少しでもできたらと思っております。
私は自分の家族の経験以外は詳しくないですが、介護以外でも何か問題を抱えて、解決の目処が立たず、先が見えない真っ暗な森を一人ぼっちで走っている気分になる時はあると思います。
打開策があったとしてもそれを探して掴みにいく気力さえないほど目の前の絶望が大きかったり・・。
それでも何か一握りの希望を探すきっかけを自身のために作って欲しいのです。よーく目を凝らしたら見えるかもしれません。
私たちはひとりで生まれ、ひとりで死んでゆきます。
他者に依存しない、揺るぎのない自分を持つことが大切だという言葉を信じて生きています。
ただ、「人は一人では生きていけない」のも事実。
生きていく過程では人と関わって傷つけて助けあっていかないといけないのです。
UNSPOOKYの"USG"はシーツをかぶってますが、直視するのが怖かったり、正面から対峙するのが怖いという気持ちが強くあります。だけどシーツをかぶって自分を少し隠してでも、目をつぶってでも、一歩踏み出すことが何か変わるきっかけになると思っています。そんな思いとストーリーが入り口から繋がる3つの作品に入っています。お店に行けばいつでも見れるのでぜひお立ち寄りください。